たかはし純が「政治」を志した理由

 私、たかはし純は、1984年、兵庫県神戸市で生まれました。

 小学生のときに、当時住んでいた神戸市東灘区で阪神・淡路大震災に被災しました。

 そのときに「この世の中は自分の努力だけではどうにもならず、その人の置かれている環境や、運、時間で運命が決定づけられ、ときには不条理な“死”すらをも引き受けざるを得ない」ということを身を以て知りました。

 一方で、地震で壊れた神戸の街で、すぐさま地域社会や行政をなんとか運営し、少しでも多くの人を助けようと懸命に努力する大人たちに接する経験もしました。

 私、たかはし純は、自分自身が阪神・淡路大震災で被災した体験を通じて、「お互いが助け合える社会」を作るべく、そのために「いかに自分が貢献できるか」を考えるようになりました。

 これが、私、たかはし純が「政治」を志した原点です。

 その自分の志しを果たすべく、大学および大学院では社会科学を学びました。

 そして社会人になってからはいわゆる「非正規雇用」でしたが、外務省職員として、外交実務の場で経験を積んできました。

 そんな中、2020年から始まった世界的な新型コロナウイルスの蔓延、そして自分自身が新型コロナウイルスに感染したこと、そして昨年のウクライナ危機の発生と世界はまさに「激動」していました。

 私生活では3人の子どもの誕生を経験しました。

 私ごとではありますが、3人目の子どもが生まれたとき、育児休暇を取得したいと希望しましたが、外務省では「非正規雇用」の職員には育児休暇は認められませんでした。

 このとき、私、たかはし純は「社会の矛盾」を感じました。

 全ての働く人にとって、同一賃金同一労働や平等な待遇が必要ではないでしょうか。

 社会、世界の激動と、自分自身が3人の子どもの父となる経験を通じて、「身近な日常生活」や「人間が生きるとは何か」を改めて深く考え直すことになりました。

 選挙権をもった大人だけではなく、生まれて間もない子どもも含め、一人一人が「政治の当事者」です。

 私、たかはし純は、自分自身が阪神・淡路大震災で被災した体験を通じて「お互いが助け合える社会」を作るべく、そのために「いかに自分が貢献できるか」を考えた自らの志しに立ちかえり、みどり豊かな街、この練馬区で、練馬区に暮らす皆さまと共に「お互いが助け合える社会」築いていきます。